高郷
今とは全く違う景観だった高郷。その昔の姿とは・・・
たかごう
旧中川根町の中心ともいえるこの高郷のお話を伺うために、小澤さん・中道さんにお話を伺いました。
今のおうちの数を見ると信じられないのですが、昔、高郷には3件しか家がなかったそうなのです。そして、6件、と段々増えていき、最終的に今の約180世帯かの方々が住んでいるそうです。
明治22年当時の貴重な高郷地区の地図があったので、見せてもらいました。
この時おうちは24世帯しかありません。この地図の田んぼより向こうは全部大井川!
つまり、今の国道が走っている向こうは今でこそ商店が立ち並ぶけれど、全て河川敷だったらしいんですね。
そして抜かしてはならないのは、この地区の歴史。歴史の方で詳しく書きますが、夕宮遺跡と言って、教科書でよく見る、遮光土偶が発掘された場所でもあるのです!! 遮光土偶は、文沢の杉山さんと、「あの土偶はありえない形だから、俺はきっと宇宙人だったと思ってる!」というお話をしたこともあり、印象深い土偶です(笑)
その土偶は縄文時代の物なので、人が縄文時代から住んでいたということが伺えます。大井川は氾濫の危険があり、その場所から遺跡が出てきたということは、今の小中学校の辺りは少し小高くて、住むのに適しているという縄文人の知恵が伺える、という話をしました。
後日、中道さんに教えられて、今の中学校のプールがある場所へ。川のすぐ横、役場本庁の向かいより少し左にある場所に、忠魂碑があると伺いました。これは旧中川根町だけの忠魂碑で、徳山と昔の役場があった場所から持ってきたそうです。見て見ると、1番上に書いてあるのは西南戦争で亡くなった方の名前・・・!!その人は久保尾の方なのですが、薩摩の地で最後を遂げたそう。昔、西南戦争に徒歩でここから鹿児島まで行ったのでしょうか・・・。お茶以外で、鹿児島と川根本町のつながりを感じた1日でした。