お茶摘みさん
大正時代から昭和の第二次世界大戦間近まで、川根地方には大勢の
「お茶摘み」や「茶師」と呼ばれる「お茶揉み人足」が来ていました。
場所は、榛原・志太南部地方、および小笠方面から大勢来ていたそう。
時期は、5月初めより約1カ月近く。2番茶も6月中旬より20日くらいは来ていたみたい。
お茶摘みさんたちは泊まり込みで来て、多い家では7・8人も来ていたんだって!
人によっては何十年と同じ家に来る人もあって、年齢は古い人で60歳くらいから若い娘まで様々で、活気あふれる時期でした。
だから川根地方には南部からお嫁に来た人が、かなりいます。昭和10年代までは細々と残っていた風習でしたが、今は全くなくなりました。 でも、私が遊びに行くおうちでは、「昔はうちにもお茶摘みさんが来ていたんだよ」とか、「ご飯は1日4食食べたの。日が昇ってから日が沈むまで、ずーっとお茶を摘んで、日が暮れたら男衆が、どんな女衆が来ているのか『夜這い』に来たりしてたんだよ。」といいます。たしかに、大きなおうちが多いな・・と思っていましたが、そういう理由もあったのかな。
今でも品評会に出品するお茶は手摘みで行います。その時は茶農家さんが地元のおばちゃん達を雇って、総勢40人くらいでお茶摘みをします。みんな1年に1度のことだし、世間話をしたり、旦那さんの悪口を楽しそうに話してたり、昔の話をしたり、もう本当に聞いていて楽しいの。朝から晩から口も手も止まりません(笑)本当に本当にずーっと残っていてほしい風習。
でも、今はお茶が安値でしか売れません。儲からないから、どんどん茶畑はなくなっていっているのが今の現状。高齢化で継承者がいなくなることもあって、この光景も、近いうちに見れなくなるんだろうな、ということがすごく分かってしまうのです。どこも一緒なのかもしれませんが、とても悲しい気持ちになります。
朝霧川霧に包まれて、寒暖差の激しいこの地でできるお茶。こんなにお茶を取るに最高の場所なのに、お茶が安いことでお茶を作らなくなっていってしまう。いつか川根茶がなくなるかもしれない・・・。真剣に考えなければならない問題だと思います。