洗富小幡(洗沢・富士城・小猿郷・幡住)
あらとみこはた( あらいざわ・ふじしろ・こざるごう・はたすみ )
THE☆田舎 の風景がこんなにも残っています。 いつまでも残っていてほしい景色。
小猿郷は、公家の人が落ち延びてきて作った集落だとされています。山に入ること約6キロ。ここも本当に川根本町!? と思ってしまうような場所にこの集落はあります。
スイッチバックをしないと降りていけない一番下にあるおうち。その隣には関白神社があり、三つの沢が同時に流れる風景があり、周りの斜面も管理されて綺麗に払われています。とても素敵な田舎の風景が残っています。
今回は、聞き取り調査として訪れた教授に同行させていただき、小猿郷に家を持っていらっしゃる高橋さんに、昔のことをいろいろとお話を伺いました。
昭和16年には7件おうちがあり、子どもも12人はいたみたい。でも、今は住んでいるお宅は一件だけ。お話を伺った高橋さんも、住んでいるわけではなく、静岡市の方から通って来られているそうです。 子どもたちは今の上岸の当たりある、旧東川根村の東川根小学校に通っていたそうです。
映画などを見る時にも、現在の川根本町にも映画はあったらしいのですが、静岡市まで行った方が近いため、(近いと言っても、歩いて片道3時間!!!)静岡まで歩いて行っていたそうなのです。ただ、木材を運ぶ車が通っていたので、帰り道はその木材を運ぶ車が通ったら、乗せていってもらうこともあったそう。 た・・・たくましすぎる!!
ここのお茶事情について。
ここにもお茶摘みさんが来ていたみたいなのですが、ヨシナガ村とかアイカワ村とか、大井川の向こうから、田野口でお茶摘みが終わるとこちらの方にきて摘んでいたそうです。お茶摘みさんにも人材派遣会社があり、ケーアンと言う会社から派遣されて来ていたそう。お茶摘みさんも、派遣して一回来たら、毎年そのお宅に行くことが多かったらしいです。
また、昭和20年代ごろは電気もなく、川の沢で水力発電をしていました。
食べ物は自給。麦・トウモロコシ・イモ類(ジャガイモ・サツマイモ・八つ頭等)キビ・アワ・ヒエなどを作っていたとか。 仕事としては、山仕事や、お茶やシイタケ類を作っていたそうです。
この地図も、高橋さんが書いたもの(^O^)/ 小猿郷への愛を感じる♡ 地図自体も見やすくて分かりやすくて、素晴らしいです。 高橋さんのおうちは、本当に昔の風景が残っていることをすごく感じられるお宅です。
屋根はかやぶき屋根。今はその上にトタンをはっていらっしゃいます。また、いろりがあり、取れたてのサトイモをここで焼いて食べると最高に美味しいです。
お宅には、こんな機械が!!これ、何をするものか分かりますか??
実は、昔に使っていた、お茶の手もみをする時のホイロなんだそうです!!下で実際に火を焚いて・・・って考えると、本当にすごいなぁって。
また、下の写真は、石を割って生えてきた楓!!!!!
生命力にびっくりさせられます。
続いて、幡住地区紹介(^O^)
びっくりするような、不思議な木がありました!!!
巨大すぎるとしかいい表せない
柿の木。めっちゃ実がなってた。
何の木だろう??
物語やお伽話に出てきそう。
帰り道に見た景色。
焼津の海までが、本当に綺麗に見えます。
ネコにも、たくさん出くわしました。
こんな素敵な景色を見に来たい方、
ぜひ行ってみてください(^O^)/