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川根茶の歴史

 

 歴24年(805年)

傳教大師が唐より茶の実を持ち帰った」とするのが、茶の一番古い記録です。

 

 根茶に関しては、仁治2年(1241年)、聖一国師が宋の国より茶の種子を持ち帰り、安倍川の足久保で栽培を始めます。その後大井川流域にも広まり、「川根茶」の始まりになったと言われています。

 

 1641年になると、年貢がお茶だったそう。このころのお茶は全て釜炒り茶でした。

 

 こうしたお茶は輸出が拡大!!! 茶箱に入れて運ばれたお茶は、高値でばんばん売れたのですが、明治16年(1883年)以降、輸出する茶の中に柳の葉・桑の葉・柏の葉も混ざっていたことが発覚・・・。生産が間に合わなかったんでしょうか。それでアメリカが怒って、日本もこれはまずい、ってなって「全国茶業組合」を作って、改善を図ります。 

 

このころになると「手もみ茶」の手法も確立していました。

この手もみを行う人たちのことを茶師と呼んでいました。 

 

しかし、機械の導入が始まり、手もみをしなくてもいい時代に。でも、この手法を守るため「保存会」ができます。この「手もみ」の方法には流派が18種類くらいあり、川根地区は「川根揉み切り流」という独自の流派を持っています。

 

 こういった経緯があり、川根茶自体が盛んになったのは昭和40年ぐらいとされています。茶園の面積が、それ以前に比べて倍くらいになっていることでそれが分かります。輸出したら高値で売れるお茶の影響もあったのでしょうね。金銭的にも川根流域はお茶で潤っていたようです。

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