
瀬平(瀬沢・平谷)
知ってて歩いたら面白い! 銀座時代の歴史が息づく地区。
せひら (せさわ ・ ひらや)
瀬平(せひら)って、実は協力隊の活動の中では「平谷の流したい」と柚子の収穫に行くほかは、あまり知らない地区でした。でも、面白い歴史が残っていると聞いて、歴史に詳しい、町史編纂事業に携わっていた藤田さんに、お話を伺ってきました(^O^)/

瀬平に詳しい人がいると聞く前は、車でふらっと行ってみたら何とかなるかも!?と思って、金山神社(左の写真)にたどり着いたり、人に聞いて、お地蔵さんを見つけたりしました。
でも、金山神社では、車を駐車したら、砂利にはまって車が抜けなくなる(2回目)という悲劇も…。
昔はここで夜、大きく火を燃すお祭りをやったそうですが、今ではそれは、お昼に行われているそうです。
ここは昔、「銀座通り」と呼ばれるほどのにぎわいがあった時期があったそうです。それは、大井川に船が通るようになってから、平谷に船着き場ができ、瀬沢が隣町の春野町へ行くための通り道になって、宿泊施設や問屋がたくさんできたからだそう。
でも、昭和6年ごろ、大火事があって、11件もおうちが焼けてしまったそう…。
さらに、同じころ、大井川鉄道が開通し、船の需要がなくなったことで、にぎわいがだんだんなくなっていってしまったそうです。
案内して下さった藤田さんは、地図を見ながら、ここは問屋だったんだ、肉屋だったんだ、というお話や、ここにはミシンを一階で使っていたおばちゃんがいて…
というような昔の話をたくさんしてくれました。


この地区で有名な人と言えば、ムラマツカズオさん。先ほど、平谷に船ができたことで、瀬沢が春野町までの通り道になったと書きましたが、その平谷から久保尾の原山(原山の隣が春野町)まで、財を投じて道を作った方です。今は集会所の所に写真と、瀬沢の入り口に石碑がたてられています。


また、現在グランドゴルフ場になっているところは、下図のような杭の田んぼがあったそうです!!! こんな風に田んぼを作っていたなんて、考え付かないし、信じられない! 貴重な写真は、この前水川で鈴木さんにお話を伺ったときに、撮らせていただきました。

普通では分からないお話をたくさん聞けてよかった!! そして最後に「イボ地蔵」さん! 本当はこの3体は「座男神社」「豊川稲荷」「弘法さん」と呼ばれるもので、今の岐阜県の人たちで、背中にこのお地蔵さんを背負ってきていた人たちがいたそうです。

案内をしてもらったおかげで、瀬平の歴史を知りながら町を見ることができ、ただ歩いただけじゃ分からない瀬平を知ることができました(*^^*)
皆さんも歴史を感じながら、瀬平歩き、してみては??